TANOSHIKUIKITAI の日記

病み系薬剤師が、楽しく生きるを葛藤する

自分分析:追記

 

型にはめすぎる人について調べてみた

すごく自分のことだと思った

偏見をしてるって酷いことをしていた

見直さないとな

まだわからないこともいっぱい

 

 

型にはめてしまう人(ステレオタイプ)は、

認識が正しいと思える情報ばかりを収集してしまう(確証バイアス)

なぜかというと、早くわかったつもりになれるし楽で、安心するから

 

自分が正しい情報ばかりを集めてしまうから、やっぱりそうだ、間違いない!

と誤った確証をしてしまう

 

〜はこういう傾向がある

というのはいいかもしれないけれど

全てがそうだ!

というのは誤った確証かもしれない

この2つは些細なようですごく大きく認識が違うそう

 

誤った確証は、偏見や自分の思う型の押しつけ、ハラスメントを生んで、

人間関係も悪化してしまう

 

自分自身も型にはめると、

人と同じで社会生活がやりやすいし、受け入れてもらいやすいし(扱いやすいから)、

安心する

 

だけど、

例えば、

末子だから自分はわがままなんだ、と思っていると、自分はわがままでいい、と思い込んでしまうし、

男らしくいねば、とか、家庭的でいなくては、と自分に対する偏見の押しつけは、無理やストレスを生んでしまう

 

そのストレスがまた、人を型に押し付ける原動力になってしまう

 

 

私はすごくこの型はめ人間に当てはまるし、見直さないといけないと思ったけれど、

日本人はこういう人が多いのじゃないかな、とも思う(よし、確信ではなくて可能性で話せてるからよし)

 

私の小学校からの義務教育を思い出すと、

先生の思ってるようにできた人はいい子で褒められる、

できていない子は問答無用で悪い子

だったような気がする

 

わたしは先生が思うようなことが、分かるしできたし褒められたかったからしていた、いわゆる優等生タイプ

先生の印象も良くて、テストの点数同じくらいでも私の方が成績が良かったりした

 

誰かの求めることを体現すると、褒められるし、これが正しいと思って生きてきたけど、

今は鬱で休業中  生きづらさを感じる

 

 

今の時代は多様性の時代

多様性の時代が生き辛い私な気がする

 

わたしはたまに、昭和の方が私には合ってたのかなと思うことがある

SNSやインターネットができて、問題の答えはひとつではなくなってしまった気がする 

SNSはできるだけしないようにしている 人が楽しそうな所を見ると、自分と比べて辛くなるから

グローバルとか難しい たくさんのコミュニティとかも難しい 知ってる輪内がいい 

女らしく生きていく(寿退社をして、家事全てして子供を育て、男の人を立てるような)ことには結構自信があった

死ぬまで1人で過ごし、仕事をして自立し、生きていく自信が今はない

 

型にはめると、自分も他人にも生きづらくなる、と言うけれど、

 

結婚や会社では、やはり他人と合わせるために型にはまることが必要なことが多いし、

この世に生きることは型にはまること、という意見の人もいた

 

今の世の中は、型にはまることを教育として受けてきた人が大勢で、そんな社会だからよりそんな考え方が主流になっているとも思う

 

だけど、自分が今苦しんでいて、人をも苦しめてしまっているなら、

型はめ人間を見直してみよう

 

他人に迷惑をかけないで型を外してみよう

正解もひとつではなく難しいけれど、

楽しく生きるために、やっていってみよう